【ゴーゴーファイブ第3話】少年ナガレ役の思い出【爆破された兄弟愛】
1999年に放送されたスーパー戦隊シリーズ救急戦隊ゴーゴーファイブ。
2025年7月24日よりYouTube公式チャンネルにて再放送されています。
実はこの第3話に、当時子役だった私が出演しています。
当時のゴーゴーファイブを含む各番組への出演経験は、自分の中で貴重な思い出ですが、これまでなかなか言葉にはできませんでした。
けれど、こうして作品が再放送されるこのタイミング。今ならようやく振り返れる気がしています。
当時の記憶だったり、空気感を、個人的な想いと共に振り返ってみたいと思います。
(当時の台本や香盤表などは、母がファイリングしてくれていたものです。)
オーディションの記憶
オーディションは、大泉学園の東映撮影所。
夏の暑さのような記憶はなく、おそらく季節は冬。
2階建てだか3階建ての事務所のような場所でオーディションだったことを覚えています。
こういったオーディションの場合、想定される配役が事前にある程度決まっています。
このとき、私はゴーブルー役の谷口賢志さんの、少年時代役としてオーディションに参加していました。

オーディション当時、どのようなやり取りをしたのかは覚えていないのですが、一次、二次と選考が進んでいき、最後に合格者のみが集められたような、そんな記憶があります。(違う作品だったかもしれないです)
私の頭の中に残る東映撮影所の、冬の夕暮れの印象と記憶は、たぶんこの時のものだと思います。
撮影時の記憶
配役が決定して、私の撮影は2日設けられたようです。
1日目が、1999年1月24日(日)、エンディングの撮影。
撮影は、田牛サンドスキー場。
メインの皆さま含めて、全員が軽装なのですが、1月の撮影だったと思うと当時の努力が偲ばれます。
むしろ、寒かった記憶というより、高所からのサンドスキーが恐怖で仕方なかった記憶しかありません。
移動はマイクロバスで、ゴーゴーファイブ5名の皆さんと、子役5名で、車内は楽しい雰囲気だったと記憶しています。
ただ、高所からのサンドスキーですっかり憔悴してしまった記憶があり、帰路の記憶はすっかりおぼろげです。
このサンドスキーも、1回ではなくて、何度か滑ったと思います。(お願いだからはやくOK出して…と祈るような思いでした。)
↓ゴーゴーファイブエンディングの当該箇所
2日目が、1999年1月30日(土)、第3話の撮影。
午前8時45分にJR新木場駅改札に集合だったようです。
本編から枝分かれする回想シーンということで、子ども時代のマトイ兄さんとダイモンとのやり取りが展開します。
劇中に登場する茶色の疑似餌が、実にしっかりと作られており、撮影途中に指を針にひっかけてしまい焦った記憶があります。
ドアップ抜きの伏し目がちになるシーンも、カメラマンの松村さんから、叱咤激励をもらい、なんとかOKシーンにこぎつけられました。
劇中で足を引っかけて躓くシーンもあるのですが、全力で躓きつつも、想定着地ポイントがあり難儀しました。
とにかく冬の午前中ということで、陽射しの角度が低く、海からの照り返しもあって眩しかった。そんなおぼろげな記憶です。


アフレコに苦戦
ゴーゴーファイブでは、音声は後から録音するオールアフレコ形式でした。
暗い映画館のようなスペースで、大きめのスクリーンに投影される自分の映像を眺めながら、声を吹き込んだことを覚えています。
当時、声のお仕事は他にもしていたと思うのですが、自分の映像に自分で声をあてるのは初体験。
戦隊ヒーローものならではの、貴重な経験でした。
(このアフレコ形式は、今ではやっていないようです。)
アフレコ台本は、どうやら手書きだったようで、ものすごい作業量に頭が下がります。
本当にへたくそなアフレコだったのですが、それでもスタッフさんからは「いいぞ、それだ!」といったような激励の言葉をもらい、なんとか収録を終えています。
本当に、何度頭を下げても足りないくらい恐縮してしまいます。


その後のお話し
無事にOKをもらえて、放送日は1999年3月7日。
当時、小学校6年生の卒業間近。
親しくしていた友人とゴーゴーファイブの前作に当たる「ギンガマン」のことを話して盛り上がったりしていたのですが、まさか次作に自分が出演することになるとは思っておりませんでした。
その後のお話しにも、少しだけ出させてもらいましたが、これもよき思い出です。

第2話の次回予告にも、チラッと使ってもらえました。
終わりに
振り返ってみても、当時の私をひとりの役者として真正面から迎えてくださったスタッフや共演者の皆さまには、ただただ頭が下がる思いです。
その後、私は2005年頃をもって、役者としての活動を終えました。
それでも、あの現場で学んだ表現することの尊さは、今も変わらず心の中に在り続けています。
いま大人になった自分ができることは、「子どもだから」「大人だから」という色眼鏡を外して、人としてまっすぐに向き合うことだと感じています。
表現の場において、年齢や立場に関係なく、平等に敬意を持つこと。ただひたすらに、いい作品をつくる、その一点に向かっていくこと。
あの日、本気で作品をつくっていた出演者・スタッフの皆さまへの感謝は、いまもなお尽きません。
芸能活動での息継ぎがうまくできず、沈んでしまった事実に後悔は残りますが、そんな輪の中に、少しでも自分が加われたことを、これからも大切に胸にしまっていこうと思います。
おかげさまで、人生の歴史の1ページに素晴らしい思い出が残ってくれています。そして、これらの事実のその後の人生を、いまも歩むことが出来ています。
誠に、誠に、ありがとうございました。






