その人を好きになって、良いところを見つける仕事をしています

最近は、病院のお世話になることが増えたと感じます。
年齢を重ねてきたこともあってか、メンテナンスを要することが増えてきたのでしょう。
あちこちの不調や、それに付随するいろいろがドミノ倒しのように連鎖していきます。
ただ、それを嘆いたところで、現状は変わりようもないので、その変化を楽しんでいこうと思っています。
ここまで生きてきた事実を、ありのままに認めたいと思います。
ここまでの過程もいろいろあったし、解決できていないことも、ある。
でも、まだ楽しめているし、これからも楽しむつもりなので大丈夫だと思います。

定期的に通院していると、病院のスタッフさんと、他愛のない会話を交わすことがあります。
先日、病院のスタッフさんより「どんなお仕事をされているんですか」という、ここ最近だと実に答えづらい質問の一つが投げかけられました。
もちろん雑談の一環であり、相手がそこまで興味があるわけでもないことは理解しています。
ただ、その問いかけに、どうしても本当の思いを答えたくなってしまう性分です。
ありきたりな答えとしては、「フリーランスです」とか、ちょっと掘り下げれば「ホームページ作成とか、写真を撮っています」というところに着地します。
ただ、この日に限っては、更に会話が掘り下げられていきました。

つまるところ、「その人(取材対象者)を好きになって、良いところを見つける仕事をしています」という結論に着地しました。
こんな言葉が自分の口から出て、誰かに伝える日がくるとは思ってもいなかったので、思わず自分でも驚いてしまいました。
組織にいるときの私は、誰が苦手だとか、あの取締役に辿り着くまでのハンコリレーが嫌だとか、誰の派閥があってスジの通し方だとか、そんな世界を理解することが難しかったものです。
吐き気をこらえながら上司の机の前で報告をして、本当に苦手な外回りの営業ですったもんだして、疲弊して土日は起きることもままならず寝たきりだったり。
それが嫌だったし、損失だということにも気づいていたのですが、あの頃はそれ以外の正解が分からなかった。
目の前にあった正解のような何かに、背伸びをして擬態してしまった結果だったと、今なら理解できます。
今は目の前の人に興味を持って好きになって肯定して、1番のファンになって応援することが、仕事のスタートラインとなりました。
気がづけば、嫌なことばかりで埋め尽くされていた自分の環境や意識が徐々に変化していくのも感じました。
その人の優れている点や、世の中の役に立ちそうなことを見つけることが上手になってきたように思います。
たとえマイナスな側面があっても、それをリカバーするためにどう努力しているかを取り上げる、といった視点にシフトしてきています。
固着してきた意識は、日常生活にも影響を及ぼしています。
「起こったことは仕方ない、これからどうするか、その最適解だけを考えよう」
という思いが、最近は特に強くなってきています。
……といったことを、病院のスタッフさんにお話をいたしました。
「どうして調子が悪いのに、そんなに現状を肯定できているのか不思議だったけど、合点がいきました」といわれて嬉しかったので、報告ということで。
実は最近あまり体調がよくなくて、踏ん張り時だなとは思っていたのですが。
その追い詰められたような思いが、この仕事を始めて4年目にして、こんな言葉を生み出してくれたようにも思います。
なんだか、やっぱり、ハイ、まだやれる気がしてきました。
◇
元来の、世間話を苦手とする性格が見え隠れする瞬間でもあったりするのですが、最近は自分が苦手なことは苦手だと、はっきり伝えていいと思うようになりました。
それは、調子が悪い時に「調子が悪い」と言えば、誰でも優しくしてくれることと通ずるものがあるような気がします。
そんなことに気付くのに、30数年もかかってしまったというお話でもあったりします。
やっていきましょう。