結果を出さなければ、この声は届かない
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自分の考えたことに、適切な日本語をあてがうことは、意外に体力が必要です。
日常生活の中で、私たちは日本語の構造よりも一次的な感情を優先し、言葉を組み立てることが殆どです。
しかし、それでよしとするのではなく、さらに一歩踏み込み、いちいち考えて言葉を選びたいと思うのです。
それはなぜか?と問われると、適切な言語化はできませんが、その理由を突き詰めると終わりのない哲学対話に飲み込まれそうになります。
私は「無意識に出来ることを、わざわざ難しくしている」ようにも映えます。
自己問答を繰り返す作業は、あまり居心地のいいものではないのにも関わらずです。
自分の思いに、何度も何度も疑問符を付けて、何度も何度も本当から目をそらしたくなる自分の手をつなぎ止めたり。
そうして、ようやく、気付けなかった思いに目を向けて、適切な言葉で装飾ができているような気がします。
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とはいえ、ひとりで作業をしていると、それはもう頻繁に怠惰な自分と出会ってしまいます。
この存在も間違いなく自分なので、認めないわけではありません。
しかし、悪すぎる出現タイミングに頭を抱えたくなることが大体です。
それを頭の中で反芻すればするほど、その存在を確実に認識してしまい、頭の中の集中が途切れます。
弱い自分がいる、休みたい自分がいる、もうこれ以上の結果なんて出ないだろうと嘆く自分がいる、やめてしまいたいと嘆く自分がいる。
でも、踏ん張っている自分もいる、つづけた人だけが辿り着ける結果のようなものがあることを理解している。
今日もそうやって、頭の中の私と私が、押したり押されたりのせめぎあいをしています。
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結果を出さなければ、この声は届かないことをよく知っています。
私は、「みんな」でもなくて、「あの会社」の佐々木さんでもありません。
「個人として活動する佐々木」の声を聞いてもらうには、結果を出すしかありません。
努力をしたとか、ここまでの過程がどうだとか、そういうことじゃない。
この部屋から一歩出れば、結果というモノサシだけの世界が、確かに存在します。
書くのが億劫だったり、撮り方に難儀したり、めいっぱい考え抜いたのに表現できない瞬間は確かにある。
しかし、世界はそんな苦労話に、これっぽっちも興味はない。
記事が書きたいのに、うまい表現が出てこない、手が付けられなくて現在位置に留まってしまっている。
それでも、書くしかない、誰も助けてくれるわけはない。
結果が手元になければ、この声は小さいままであることを知っています。
聞き返してみても、この声は、まだまだ小さいように思えました。
この堂々巡りに、結果以外の解決策がないことも承知しています。
だから、やっぱり、進むしかない。
2023年12月現在、たしかに苦しくて目標には程遠い現在地。
思うような結果が出ないけども、つづけようとしている、やろうとしている、その事実は確かにある。
今日限りの精一杯は、この限り。
ありのままの自分に対しても明日になったら反省して、昨日の自分にバツを付けていきたい。
同じように悩みぬく明日のあなたに向けて、エールを送りたいと思います。
やっていきましょう。
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