夕焼けの2024年5月23日と最近の雑感
制作をしていても、どうも進まない。
そんな時は、いったん机を離れて歩いてみたりするのがいい。
歩くのすら億劫なときもあるけれど、その遠回りが、実は近道だったりするから。
正論であり、事実であるのだけども、とてもそんな風に思えない瞬間しかない。
思っている以上の絶望感と共に散歩に出る。
特に感想もないのだけど、今日の夕焼けはとてもキレイだった。
最近は、こんな景色が広がっていると、スマホを上に向ける人がいたりします。
ひと昔前では考えられなかったけど、きっと、みんなも「きれいな夕焼けだった」ということを誰かに伝えたくなったのだと思う。
そう思ったということは、自分自身も誰かに伝えたくなったのだと思う。
「特に感想もない」とか言ったばかりなので、前言撤回しておきます。
10年も前の自分だったら、きっと急いで家に帰ってカメラを担いで、写真を撮りに出かけていたように思う。
あの頃は、スマホもガラケーも、カメラの性能なんていまいちだったから、カメラが必要だった。
でも、いまのスマホはすごいなと、本当に感心する。
本当は、もっと核心的な何かが変わっているような気もするのだけど、ひとまずはお茶を濁しておきましょう。
何をガソリンに出来るかという話
Xを見ていて、つい頷いてしまったポストを書き留め。
本当にこの通りだなと思うところで、大きく頷いた次第です。(見返したいとか、勝ちたいの部分は異なるのですが)
私は、私自身のことを、物理的にも精神的にも独りにならないと創作ができない人間だと捉えています。
出来ない自分と対峙して、追い込んで、ついに耐えきれなくなった時の反発を利用するというか。
きっと、今までもこうして創ってきていたのだと思います。
一時期、先ほどのポストの方と同様に、もうこれまでの自分のスタイルは終わりなんだろうなと思って封印した時期がありました。
ただ、やっぱりどうしても、それが出来なくて、難しくて、戻ってきてしまったのですが。
いろいろと、大小さまざまな反省がある時期なのですが、このポストをサラリーマン時代に見かけていたら、もう少し結果は変わったかな、と思ったり。
事実、現在、こうなっているという状況は、1ミリも疑いようのない現実なので、過去に思いを馳せても仕方ないのですが。
「その水になじめない魚だけが、その水について考え続ける」という言葉を、つい思い出してしまいました。
もう充分に反省して、学習しました。きっと、私はこのまま創りつづけていくのだと思います。
淡々とやっていきましょう。