20年前と、1年前と、1年後
20年前のことを思い出として語れる日が訪れていた、そんなことに気づいた。
通っていた高校の最寄り駅で旧友と再会する約束をしたので、ちょっと早めに駅へ向かって、学校周辺を散歩してみた。
高校時代って、どれくらい前だろう?と思って計算してみたら、両手を往復してしまって驚いた。もう、20年?
当時の駅から学校までのルートも、こんな感じだったと思い出せた。ちょっとしたトリガーがあれば、記憶なんて割とすぐに奥底から湧き出てくることに驚いた。
バレると怒られる裏道も、その道筋をなぞることができた。
でも、当時の景色まではいまいち思い出せなかった。ここのコンビニはあっただろうか。きっと、こんなはずだったか?そんな解像度の低さだった。
しかし、鮮明に思い出せたのは、ここで教師とイザコザがあった、ここでドンパチやらかした、とか。
そんな当時の感情とセットになったことは思い出せた。
なるべく感情を波立たせないように生きることを心がけているものの、感情の強さと記憶の濃さは比例することにハッとした。
忘れたくないことは、激情とセットにしておくといいのかもしれない。
今が、いつの日にか20年後になった時、思い出せる景色は果たしてどれくらいあるだろうか、そんなことを思った。
忘れて悲しいとかじゃなくて、忘れるものだと今は割り切れているけども。
ふと、高校時代の通学路を歩いていると、割り切れなかったあの頃すらも思い返してしまった。
その時に全力でここまでやってきたと、自分自身に宣言できるような、そんな日々を送りたい。
覚えていないのが悪いわけじゃない、忘れていくものだ。
読後に残る清涼感が、読書の感想の大半を占めるように、ここまで全力でやれたといえるような未来を生きていたい。
その方が、きっと爽やかだと思う。
◇
関わりを持たせてもらっている動画アカウントが、先日めでたく1周年を迎えた。
1年間、撮影や編集、企画、プロモーションなど、いろいろ工夫をしてきた。
その結果、人気も上々。1年を振り返ってみれば、よい滑り出しといえるだろう。ここからどうなっていくか楽しみだ、そんな話をした。
その次の週あたりに、高校時代の友人と話をした。20年来にもなる、お久しぶりの友人。
いつも彼と会うときは、複数の友人で会うことが多いように思う。
しかし、今回は1対1。
もしかしたら、1対1で話をするなんて、きっと高校時代から数えてみても初めてなのじゃないかと思った。
彼も、また、制作をしていた。会社に勤めながら、自分の在り方を模索する、THE・クリエイターだった。
親近感を覚えずにはいられなかった。ちぎれそうになりながら、サラリーマンをしていた数年前の自分の姿を、すぐ重ねてしまった。
今のままではどうしても正解とは思えない、そう語ってくれたので、強力に背中を押す。
人によって考え方は様々だし、無理に引き込むつもりもないのだけど。
遅かれ早かれ、会社が無理な人は「こっち側」にくるしかないと思っている。
会社ができる人が、まだこの現代では圧倒的多数だから、マイノリティであるうちに、先行者優位を勝ち取ろう。
収入が不安定?老後の不安?そんな常識的な声も聞こえてくる。
いやいや、こしらえたような不安を言い訳にしても仕方がない。
わかってる、今がもう無理なんだ。痛いくらいに分かるんだ。
自分も近しい経験をしたから、全てを聞かせてもらう前に理解できる。
全力で応援するし、力になれることがあれば手助けしたい、僭越ながら。
先週は、別の友人と1年やってきてよかった、と話していた。
でも、その次の週には、高校の友人と1年後にどうなっているかね、という話をしている。
過去から今に向けた1年と、今から未来に向けた1年が結びついたような気がして、充足感があった。
20年前の、通学路をたどりながら、そんなことを思った。
こういう未来のある1年を、これからも継続していきたい。
主任だとか、係長だとか、そういうのは、得意な人に任せたのでヨロシクね。
20年を経ても、よく揺れるJR武蔵野線に揺られつつ、帰りの西武線は終電で。
制作します、やっていきましょう。