書ける人になりたいわけじゃないけど、書きつづけていきたい

今日も順調に書けない。
書かなくちゃいけないものもあるし、書きたいものもある。
これを書いたら、将来はきっとこうなるだろうという野望のような、妄想のようなものもある。
しかし書けない。
いま、コメダ珈琲で、空になったアイスココアのグラスを、ものすごい目つきで睨みつけながらこれを書いている。

ふと冷静になってみると「全く書けていない」わけでもない気もする。
これまで書いてきたからこそ、「書いてみたいこと」が増えただけで、自分の書くスピードが追いつけていないような気もした。
現に、今年書いた記事や制作物を冷静に振り返ってみた。
相当、書いているし、創っている。
いま、自分が「書けない」と思っているのは、どういうことなのだろう。
改めて、頭の中を整理してみた。
何も書けなかった頃は、書けたことが自信に繋がった。
ある程度書けてきた頃は、なんでも書けるような気がした。
書けるようになった頃に、書けないことがあることを思い知った。
そうやって、書き続けてきた。
頭の中の雑文を、なんとか丸め込んで、日本語の服を着せて、世の中に送り出してきた。
スマホを覗き込むあなたの興味や疑問を、目隠しで想像しつづけた。
そうだった、分からなくて当たり前だった。
分からないくせに、分かったふりが板についてしまったのかもしれない。
いつの間にか、慢心に陥っていた。
今までなかったものを創ろうとしているのだから、易々と書けるわけもない。
いまでは、もう趣味の範疇を超えて仕事になっている「書く」ということ。
「書ける私」でないといけなくしてしまった。むしろ、書ける私をセルフプロデュースしていた。こんなこともできるんです、みたいな。
でも、その実はいつも泥臭い毎日だ。
いつも書けなくて、机の前で絶望している。
書けないと思い悩む自分自身ですら、自分自身に同情することはない。
冷たいナイフの切先を、こちらに向けつづけている。
書けない自分は、存在してはいけない。
そんなプレッシャーを与え続けている。

でも、そんな苦しい毎日の、ある瞬間に、頭の中で爆発が起こったような瞬間が訪れる。
書きたくて、書きたくて、たまらない瞬間。
3点差の9回裏ツーアウト満塁で打席に立つような気持ちで、キーボードを叩ける日が1ヶ月に1回くらいある。
ここで俺に回せ、さぁ書いてやる、みたいな。
ここまで書いて、少し思ったことがある。
まだ答えは出ないけど、もしかしたら。
「それまで書けずに苦しんだからそんな日が来るのかもしれない。」
だとしたら、こうして書けないと絶望したり、もがき苦しむ日々にも意味があるかもしれないと期待してしまう。
書けた記事は増えていくけど、書きたいことは、それを上回るペースで増えつづけていく。
書けない私は肥大していく。
しかし、それは、問題でもなくて、正常進化なのかもしれない。
そう思うと、不思議と、少し楽になるような、ならないような。
そんなお話でした。
いや、いい具合に考えることができたので、フィッシュフライバーガーを追加注文してから帰ろうと思います。
いただきます。
