友人の結婚式へ@お台場

新郎の友人として、結婚式に参列しました。
私がコンビニ店長だった頃に、高校生スタッフさんとして一緒に仕事をしたのが、新郎との関係性の始まりでした。
以来、10数年。綿密に連絡を取り合うことはないけれど、あの頃の記憶の中には絶対にお互いがいるような。
彼に確認したわけではないけれども、そう言い切れるような。
そんな、ちょっとおもしろい関係性である彼の、結婚式でした。

思い返してみれば、あの頃の記憶は終わらせたこともないはずなのに、ぼんやりと、どこかで途切れてしまったような気もします。
言葉や思いは、たしかに在るのですが、いちいち引っ張り出すのも野暮であるような。
そりゃ大人になるまでも、なってからも、お互い色々あるじゃない?って。
そんなあなたが、家族を持つわけです。
その意義の大きさは、少し分かるような気がしてしまうのです。
家族という概念そのものを肯定できるのかも分からない。いや、割り切れるものなんてあるわけがない。寂しいなんて言えないって。それはよく知っているよ。
それを見せないあなたが、すこし心配だった。似たような何かを持っている私だから、余計に気になってしまう。

あなたが見せる屈託のない笑顔は、あの時のままでした。
そうか、杞憂だったかと、ちょっと安心。
見せていないだけなのかもしれないけど、それならそれでいい。
それができているなら、今も、あなたはあなたを続けられている。
彼には彼の人生があるという事実と、それを大事にしてきたであろう会場の空気感が、たしかにあった。
どうか、お元気で、どうか、どうか。
これは、心から思って、強く念じてしまいます。何度も、何度も。
半分は、自分に言い聞かせるように。

さぁ、家に帰ってきたら、いつも通りの日常です。
反芻してしまった自分の不甲斐なさに、ちょっと削られつつ、でもそれも事実。
大丈夫、これでいい。やれそうです、制作しましょう。