自己紹介しているような三日月だった

家で制作をしていると、どうしても外に出なくなりがちなので、思いきって?散歩をすることにしました。
明け方5時、30分程度の周回コース。
この散歩コース界隈には、はじめて住んだ東村山の家(団地)があって、ちょくちょく訪れては当時のことを思い出したりします。
心温まるようなエピソードの一つや二つでも出せればいいのですが、真っ先に出る思い出はそれと真逆のものだったりするので、今は割愛します。

ただ、不思議なもので、数日後にこの団地で、仕事のお手伝いをすることになりました。
本当に僅かな確率のめぐりあわせで、当時住んでいた団地から2つ離れた棟ではあるのですが、お部屋の中にお邪魔させていただきます。
この団地を離れたのは、たしか小学4年生、10歳のころだったでしょうか。
ですので、約25年ぶりに、この団地の扉の向こうにお邪魔することになります。
部屋は違えど、きっと、たぶん、色々なことを思い出すことになるのでしょう。
何を思い出すのか、いまから楽しみでもあり、ちょっと怖かったりもします。
記憶とは面白いもので、紐づけられた何かに接した瞬間に、リプレイボタンが押されてしまいます。
それまでは思い出せないのに、思い出せてしまう、本当に不思議な感覚です。
いいことも悪いことも含めて、停止不可の、ちょっとクセのあるリプレイ。
そうですね、これを鑑みると、きっと忘れたと思っている多くのことも「忘れたと思っているだけ」なのかもしれませんね。
あれ、千と千尋の神隠しで、こんなセリフがあった気がします。

よくよく考えてみれば、東村山にきて30年以上が経過していることに気付きました。
最近では、東村山市の地域ライターなるものに名乗りを上げて活動していたりもします。
なぜ地域ライターとして活動をし始めたのか、理由を言語化できないものが多いのですが、今日の散歩で気付いたことがありました。
それは、東村山にいることに意味を見出そうとしているのかもしれない、ということです。
これがあったから、自分は東村山にきたのだと、そういった理由が欲しかったのかもしれません。

ぼんやりと、出身小学校の校庭を眺めてそんなことを思いました。
そう思ったことが本当に合っているか、合っていないかの正誤は、この際いとわないです。
今この瞬間、そう思った事実は間違いはありません。

色づきはじめた東の空には、本当にお手本のような三日月が見えました。
「どうも、わたしが三日月です」と自己紹介しているような、そんな三日月でした。

ぶらぶらと、誰ともすれ違うはずのない三連休最終日、夜中と朝の端境期。
また、こうして、あぁでもないこうでもないと散歩をしてみました。
遠くに鳴り響く踏切の向こうから、都心へ向かう3番目くらいの電車が、我が村を発っていきました。
スムーズに「我が村」という言葉が出てきたので、もう今日はこれで十分のような気がします。
何故だか、こういった奇行のたびに、自分の中に書くパワーが蓄えられていくのを感じます。
引き続き、やってまいりましょう。