生ビールールサーバー
明け方には、何とも言えない不思議な雰囲気があり、わけもなく散歩に出かけたくなる瞬間があります。
東村山に限らず、どの街でも感じることかもしれませんが、この時間帯には特別な静けさと、何か少しの畏怖を感じる独特な魅力があるように思います。
徹夜で動画編集を仕上げようと奮闘したものの、どうも作業は思うように進まず、絶望に打ちひしがれていました。
頭の中は停滞し、これ以上デスクに向かっても意味がないと感じたその瞬間、いてもたってもいられなくなり、散歩に出ました。
外に出ると、空がぼんやりと明るくなり始め、遠くから鳥のさえずりが聞こえてきました。
時計もないはずの鳥が、なぜ決まった時間に鳴きはじめることが出来るのだろうかと疑問がわきます。
家に帰ったらwikipediaで調べようと思いましたが、すっかり忘れていたことをこの文章をタイピングしている、この瞬間に気づきました。
教科書にでも書かれているかのような、「明けない夜はない」とか「やまない雨はない」といったキレイな殺し文句が頭に浮かびました。
明け方の空気が心をリセットし、新しいアイデアを運んでくれたと言いたいところですが、実際はただ疲れ果てて、何も浮かばないまま歩いているだけです。
奇行ともいえる明け方の散歩を「アイデアが浮かぶかもしれない大切な時間」だなんて、それは自分に言い聞かせているだけで、本当のところは、絶望の中で何も解決しない現実を直視したくないだけのような気もします。
暑い夏、8月9日午前4時。
見上げると、数秒単位で変化していく空の色が目に入ります。
セミの羽化のように、ゆっくりと、ひと目見ただけでは変化が分からないような、明け方らしさの最たるものだと感じました。
分からないまま今も昔もやっているということは、最終的に「分かる」ことが結論であり目標であり到達点であると考えてきましたが、最近は「分からないまま」で在り続けられることも、ひとつの結果であるような気がしてきました。
むしろ「分かった」なんて、言いたくないとすら最近は思っていたりします。
年を重ねると、まわりからの期待値だって高くなる。アドバイスや説明とか高尚なものを求められたりする。
知らない。分からないまま進んでいきたい。そうやって分かるわけもない現状を肯定したい。分からないまま、分からない苦しみと共にいる誰かと、あなたと、伴走したい。
そう思ってしまった朝の散歩でした。
明け方の自販機ほどエモいものはないですね。
風呂上りにはメロンクリームソーダ。
つづきの作業時にはカルピスソーダ。
やっていきましょう。