【戸籍への振り仮名記載】本当の名前がわからないまま生きてきた
こんにちは、ささきあおいです。
幼少期の頃、私は「ささき」でも「あおい」でもありませんでした。
このたびの「戸籍への振り仮名記載」で、いろいろと思うところがあったので、まとめます。
もし、同じような経験がある方がいたら、その思いの一助になれば幸いです。
※これから読み仮名を変更する方、したい方の手順は記載されていません
※幼少期に、名前の読み方が意図せず変更になった当人の感想です
名前にしっくりこなかった子ども時代
こんにちは、ささきあおいです。
実は、私は、保育園の年中頃まで、「ささき」でも「あおい」でもありませんでした。
紆余曲折(割愛)があり、名前の読み方が「まもる」から「あおい」になり、その後に最初の名字から「ささき」に変更となっています。
ポイントとなるのは、下の名前の漢字が変更されていないという点でしょうか。
(葵という漢字はそのままに、読み方が「まもる」から「あおい」に変更された)
以下のような流れで、自分の名前は変遷していきました。
●● 葵(最初の名字+まもる)
↓
●● 葵(最初の名字+あおい)
↓
佐々木 葵(ささき+あおい)
このため、現在の「ささきあおい」に、元々の名前の読み方は一文字も含まれていません。
信じられますでしょうか。私は、自分で書いていても、その事実を信じられません。
(名前って、こんなカジュアルに何度も変わるものなんだなぁと、自分の戸籍謄本を読み散らかした日々もありました)
唯一の名残が、名前の部分の漢字、「葵」です。
戸籍においては、名前の“読み方”はこれまで記載されない仕組みでした。
そのため、自分の名前が「あおい」と読まれている根拠を持たないまま、なんとなく過ごしてきた30余年だったのです。
「ささきあおい」として周囲に挨拶をすると、「いい名前だね」「芸名みたい」と言われることもありましたが、実のところ、それはすべて後づけの名前です。
だからこそ、自分の名前に対して、どこかふわふわした違和感を持ち続けていたのだと思います。
以下は、在籍していた保育園の連絡ノートの記録です。

3月末頃に「まもる」から「あおい」に変えたのですが、本人に言ったら保育園では「まもる」のままがいいと言うので、そのままにしておいたのですが、最近家でも「持ち物とか洋服など名前を書き変えて」と言っているくらい

なので、あおいが自分でも慣れてきたんだと思います。
家では「あおい」とか「あおちゃん」とか「まもちゃん」と呼ばれると返事するのですが「まもるくん」とか「まもる」と呼ばれると、やっぱり「僕はもうあおいだよ」と言っています。
役所関係にも変更手続きしてありますので本人がいい様に呼んであげて下さい
「本人がいい様に呼んであげてください」で、さすがに笑ってしまいました。
(その当時の、まわりの大人の精一杯だったことも、承知しています。)
ちなみに、名前の読み方変更については、戸籍法第107条の2に「正当な事由によつて名を変更しようとする者は、名及び名の振り仮名を変更することについて家庭裁判所の許可を得て、その許可を得た名及び名の振り仮名を届け出なければならない。」と記載されています。
私も、漢字はそのままですが、振り仮名が変更となったため、この手続きを踏んでいるようです。
そして、この変更をした場合も、当時の制度では戸籍には変更した旨の記載はされない模様です。
過去の戸籍を振り返っても、私の振り仮名が変更された痕跡は記載されておらず、この点はそのまま納得するしか術もありません。
戸籍の振り仮名通知が届いた日

最近の報道で「戸籍にふりがなが記載されるようになる」と知りました。
正しい自分の名前の読み方の根拠を、ようやく手がかりを見つけたような、そんな気持ちになりました。
正しさなんぞ、誰に認めてもらうものでもないのだけれど、後ろ盾があるのはシンプルに心強い。
万が一、ここに「まもる」と書かれていたら、本当にどうしようか。
いや、むしろ、「まもる」と書かれていてほしい思いも共存しているじゃないか。

2025年7月30日、届いた通知によると、どうやら私は本当に「あおい」でした。
物語の結論です。
知っていました、この名前のままで、どうやらOKです。
いや、諦めがついたという表現の方が正しいかもしれません。
自分の名前とどう向き合っていくか
小学校で「名前の由来を親に聞いてみよう」なんて授業があったことを思い出しました。
私は、その回答に迷ってしまった。「まもる」だったころの記憶もあったけど、それはなかったことにされていた事実だった。
でも、それを誰に話せるわけもなかった葛藤を、今ここではじめて吐露してみます。
「ささきあおいです」と名乗ることは、どこか他の人の人生を背負っているような、不思議な感覚を伴っていたりします。
名を名乗ることは、自分を定義することでもあるので、他でもない私自身が、私自身にもっと自覚的でありたいのですが。
このブログのURLが「sasakiaoi.com」になっているのも、きっとその葛藤の表れです。
私は、これからも、その矛盾を孕んだまま「ささきあおい」でやっていくのだと思います。
振り返ってみても、きれいごとで片付けられない事実が、そこら中に散らばっています。
それらの事実の中に、いつのまにか自分の責任を追いやっていたようにも思います。
ご迷惑をおかけしてしまった各位には、本当に申し訳ありません。
それでも、振り返れば振り返るほど、これしか出来なかったと、思いは強くなるばかりです。
言い訳をするつもりもなくて、これに免じてというわけでもなくて、すべて事実だと受け止めています。
◇
これは、あの頃のぼんやりとした記憶を裏付ける、約30年ぶりの答え合わせです。
こんなにも時間がたって、いろいろな根拠が近年になって揃ってきました。
人生は、時間をかけた答え合わせなのだなと、最近ひしひしと感じます。
自分の中に抱える歪みを、悲観で受け止めたら物語が終わってしまう。
その歪みすらも時間軸の中に落とし込むことができれば、それはそれで悪くないなと、30年経って感じている最中です。
答え合わせを、まだつづけていこうと思います。






